二国間関係

30.12.2010
1919年3月6日、日本はエストニア共和国を事実上承認する。1921年1月26日、日本を 含む協商国最高評議会は、エストニア共和国を法令上承認する。日本は、更に、 エストニア共和国を他の法律によっても承認した。1921年にリガに対して指名された 臨時代理大使はエストニアも担当した。
1934年、日本担当であったアルフレッド ルーテが南満州大連の名誉領事に 指名された。
1935年、最初の日本名誉領事ヴォルメル プフクがタリンにて活動を開始する。1937年、リガ日本大使がエストニアでも承認され、1939年日本は、タリンに外交代表施設を 設置する。この施設は、1940年まで機能した。
1991年9月6日、新井弘一日本大使が、日本政府によるエストニア共和国の独立承認の 公式文書をタリンに届ける。
両国の外交関係は、1991年10月10日に回復した。1993年1月、タリンに日本大使館が 開設される。
1996年3月4日、東京にエストニア共和国大使館が開設される。
2006年12月8日、ピーター ミラーエストニア共和国大使が天皇陛下に信任状を 提出する。
2006年12月7日、ヘルシンキ在住の本田均日本大使が トーマス ヘンドリク イルヴェス大統領に信任状を提出する。
1991年、日本エストニア友好協会が北海道で設立される(会長:吉野忠彦氏)。 1992年、タリンでエストニア日本友好協会(展示会や講義を主催し、日本文化を促進する)が設立される(代表:へイッキ ヴァラステ氏)。1998年4月、日本エストニア友好協会が 東京に支部を設立する。
2007年5月1日、長野県佐久市とエストニアのハルユ州サクとの間で姉妹都市協定が 結ばれる。
訪問と会談
| 日本へ |
| 1992年5月 |
ティートゥ ヴァヒ首相率いる政府代表団 |
| 1992年10月 |
トゥリヴィミ ヴェリステ外務大臣G24出席 (新独立国への援助に関する東京会議) |
| 1996年3月 |
シーム カラス外務大臣 |
| 1996年12月 |
ヤーク レイマン経済大臣 |
| 1997年3月 |
レナルト メリ大統領 |
| 1998年2月 |
マルトゥ シーマン首相 |
| 2001年9月 |
ミフケル パルノヤ経済大臣及びビジネス代表団 JETROがバルト諸国の経済についての共同展示会"The Baltic Exhibition"と東京で投資セミナーを主催 |
| 2002年6月 |
クリスティーナ オユランド外務大臣 |
| 2004年10月 |
アルノルド ルーテル大統領 |
| 2005年1月 |
ユリ シェホフチョフ、Riigikogu議員及びエストニア日本議員連盟代表が日本政府プログラムによる紹介訪問で来日 |
| 2006年4月 |
第三政治局長官を代表とした外務省代表団が日本国外務省の 政治協議に参加 |
| 2008年2月 |
ウルマス パエト外務大臣 |
| 2010年2月 |
アンドゥルス アンシプ首相 |
| エストニアへ |
| 1991年9月 |
日本政府代表団 |
| 1991年10月 |
鈴木宗男外務政務次官 |
| 1996年7月 |
小野清子参議院代表 |
| 1999年8月 |
衆議院特別委員会代表団 |
| 2002年5月 |
植竹繁雄外務副大臣 |
| 2002年9月 |
尾辻秀久財務副大臣 |
| 2003年7月 |
ハイレベルビジネス代表団 |
| 2004年3月 |
経団連上層部代表団 |
| 2006年7月 |
中山太郎元外務大臣率いる衆議院欧州各国憲法及び国民投票制度調査議員団がRiigikoguにてウルマス レインサル憲法委員会議長とマットゥ ヌットゥ委員と会談
中馬弘毅内閣府特命担当大臣(規制改革)行政改革担当構造改革特区・地域再生担当を団長とした代表団 |
| 2007年5月 |
天皇皇后両陛下ご訪問 |
| 2007年8月 |
田中和徳財務副大臣 |
合意事項
・エストニア共和国政府と日本興業銀行間での意思の宣言書 (1996年3月11日施行) ・査証要請廃止の合意 (1991年12月1日施行)
エストニア外務省と日本外務省の協力議定書は、2002年6月クリスティーナ オユランド 外務大臣訪日中に調印された。これは、定期的政治協議の基礎となった。
2000年12月19日、エストニアと日本は、1991年8月20日以降に締結された2国間協定 のみを有効とした。
経済協力
エストニアと日本の間の経済関係は良く、安定した発展を続けている。
エストニアは、日本との間で、二重課税回避及び脱税防止の同意書および科学と技術の面での協力合意書に調印することに関心がある。
2005年1月、山口功作氏がエンタープライズエストニアの東京代表として任命され、 将来的に完全な資格を有する機関を設立する計画が立てられる。最初の 日本語でのエストニアでの投資傾向を紹介するオンラインガイドが作成されて以来、 エンタープライズエストニアと財団法人海外投融資情報財団との間には、 良好な協力体制が樹立されている。
貿易
2006年、特別な貿易システムによるエストニアと日本の間での海外貿易取引高は、 1億5300万ユーロ (2005年では、1億7900万ユーロ)であった。輸出額は、4430万ユーロで輸入額が1億860万ユーロであった。2006年には、日本は、22番目に大きな貿易相手国である。エストニアの日本との貿易赤字は、6430万ユーロであった。
2000年から2007年の間のエストニアと日本の間の貿易 (単位:100万ユーロ)
| 年 |
輸出 |
輸入 |
均衡 |
| 2000 |
6.5 |
279.3 |
-272.7 |
| 2001 |
36.5 |
213.4 |
-176.9 |
| 2002 |
12.7 |
194.8 |
-182.1 |
| 2003 |
14.5 |
223.8 |
-209.2 |
| 2004 |
13.8 |
92.0 |
-78.2 |
| 2005 |
20.6 |
159.9 |
-139.3 |
| 2006 |
44.3 |
108.6 |
-64.3 |
| 2007 |
40.4 |
84.3 |
-43.9 | 2006年の主な輸出品 ・木及び木製品:木炭-64.7% ・化学製品-11.2% ・家具及びベッド用品-9.3% ・基礎金属及び基礎金属品-5.2%
2006年の主な輸入品 ・機械装置及び機械装置部品-84.7% ・車両, 航空機, 大型船及び関連輸送道具-7.7% ・視覚, 写真用, 映画用部品-2.5% ・プラスチック及びプラスチック製品とゴム及びゴム製品-2.4%
出典:エストニア統計局
投資
エストニア銀行によると、2006年のエストニアでの日本の直接投資は、730万ユーロに 達する。2005年の同指針が720万ユーロであったことと比べると、日本の直接投資は、 上昇傾向にある。投資は、主に、不動産、卸売り及び小売り貿易とサービスの分野で 主に行なわれている。日本でのエストニア側からの投資の記録はない。
文化関係
過去15年間、両国の間では、緊密な文化交流が続いている。日本文化に対する関心の急速な上昇に伴い、エストニア国内でも日本語や国技イベントを目にすることができる。2006年春、カングロ臨時代理大使が、庄司博史教授及び小森宏美准教授に 第四位テラマリアナ十字勲章を進呈した。2009年夏、ミラー特命全権大使が、 松村一登教授に第四位テラマリアナ十字勲章を進呈した。
2005年は、EU-日本人物交流の都市とされ、エストニアのアニメ映画の日本での上映、 展示会の開催、エレルへイン少女合唱団やタリン室内管弦楽団のコンサートツアーや VAT Theatreによる公演が行なわれた。エストニアでは、日本の芸術家が日本の 伝統芸術(書道や日本の影絵)及び現代芸術(ジャズ, 建築, 詩)を披露した。
2006年7月、ソプラス(エストニア語で'友情')フォークダンスアンサンブルが日本で コンサートツアーを行なった。コンサートは、東京、釧路と佐久で行なわれた。
アヌ タリ女氏、ネーメ ヤルヴィ氏、パーヴォ ヤルヴィ氏及び クリストヤン ヤルヴィ氏が日本の一流オーケストラで指揮をしたことがある。
 
|